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福島地方裁判所 昭和23年(行)3号 判決 1949年2月11日

当事者

原告

伊藤〓吉

被告

尾野本村農地委員会

被告

福島県知事

主文

被告尾野本村農地委員会が昭和二十二年三月十六日公告した別紙物件目録記載の土地に対する買收計画はこれを取り消す。

被告福島県知事が同年七月二十二日買收令書を交付してした右土地に対する買收はこれを取消す。

訴訟費用は被告等の負担とする。

請求の趣旨

主文と同旨。

事実

原告は、請求原因として、別紙物件目録記載の土地は、もと訴外伊藤傳四郞が所有していたが、同人は単身戸主で明治三十一年七月失踪したので、爾来福島県河沼郡尾野本村字萱本部落がこれを管理してきた。被告尾野本村農地委員会(以下尾野本村農委という)は所有者傳四郞が不在村地主であるとの理由で右土地に対する買收計画をたて、昭和二十二年三月十六日所有者でない萱本部落を所有者として公告し、次いで、被告福島県知事は、右買收計画に基き同年七月二十二日附をもつて所有者でない萱本部落に対し買收令書を発した。しかるに、右買收計画及び買收には左の如き違法がある。郞ち、傳四郞は、昭和二十一年一月二十四日失踪宣告によつて、明治四十五年七月三十一日死亡したものとみなされ、原告は、昭和二十二年四月二十九日親族会の決議によつて、傳四郞の家督相続人に選定され、傳四郞の権利義務一切を承継したが、民法の規定により相続の効力は、相続開始の時までさかのぼるものであるから、原告は、明治四十五年七月三十一日以降右土地の所有者であり、不在村地主ではない。傳四郞も萱本部落も右土地の所有者でないのであるから、右土地は、不在村地主傳四郞所有の土地としても、萱本部落所有の土地としても、買收することはできない。しかるに、被告尾野本村農委は、傳四郞が不在村地主であるとの理由の下に萱本部落所有の土地として買收計画をたて、被告福島県知事が買收したのであるから、これは、明らかに自作農創設特別措置法第三条に反する違法のものである。よつて、その取消を求めるため本訴提起に及んだのであると陳述し、被告等の主張事実中、傳四郞が絶家を再興したこと、訴外山口留五郞が部落あて念証を差し入れたこと、傳四郞が再度失踪したこと及び萱本部落民四十五名が原告主張土地の公租公課を負担したことは、認めるが、その余の事実は争う。殊に被告等主張の如き慣習もなければ、時効取得の事実もなく、傳四郞が絶家を再興したのは、単に伊藤家の名跡を保つためのものでもない。念証を差し入れたのは傳四郞本人でなく何等権限のない山口留五郞であるから、所有権の放棄、又は部落の所有権を承認したことにはならない。しかも、右念証によると、単に管理を委せたものであることが明らかである。部落民四十五名が公租公課を負担したのは、権限のない行爲であると述べ、立証として、甲第一号証の一乃至六、第二、第三号証を提出した。

被告等は、原告の請求を棄却し、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、原告の主張事実中、被告尾野本村農委が昭和二十二年三月十六日原告主張の土地に対する買收計画を公告したこと、被告福島県知事が同年七月二十二日買收令書を交付して右土地を買收したこと及び傳四郞の失踪宣告並びに原告の相続各関係の事実は認めるが、その余の事実は争う。原告主張の土地所在地区を萱本部落といい、この土地は、かつて萱本部落民伊藤善造が所有していたが、同人は明治初頭絶家した。この部落には、往昔から部落民で絶家したり、失踪したりして後継者を欠いたものの所有土地は、無跡地と称してその当時の部落民の共有に帰する慣習があつたので、善造が所有していた土地は、当時部落民四十五名の共有に帰したのである。仮りに、右慣習の法的効果は、しばらくおくとしても、部落民は、今日に至るまで八十五年間平穏且つ、公然に右土地の占有を継続してきたのであるから、時効によりその所有権を取得した。もつとも、この間、明治十三年九月二十四日善造の縁者山口傳四郞というものが絶家を再興して伊藤傳四郞となつたが、それは、伊藤家の名跡を保つだけの方法で、この無跡地が部落民四十五名の共有であることには何等の異存がなかつた。民法前の旧慣も施行後の判例も、絶家の再興には相続関係を認めていない。その後、地劵制度がしかれて、村役場が明治十四年二月一日持主伊藤傳四郞と表示して右土地の地劵を同人に交付したが、これは、公簿上の所有名義が伊藤善造となつていたためと、傳四郞が善造の絶家を再興したためとにより深く考えもしないで傳四郞名義として交付したのであつて、同人も口外せず、部落民も気ずかず、所有の意思をもつてする占有継続には何等の影響も与えなかつた。傳四郞は、明治二十八年五月一日失踪したが、部落に知れて問題となつたところ、部落民の一人である同人の子山口留五郞は、同年旧十二月十九日部落あて、傳四郞が善造の絶家を再興したのは表面上のことだけで、この農地の名義は同人でも部落民の共有であるから、どのように管理処分されても異存がない旨の一札を差し入れている。傳四郞は、明治三十一年七月一日復帰したが、右土地には何も触れないで、いくばくもなく同月十三日再度失踪して今日まで消息を絶つたままである。從つて、村役場の土地台帳には、右土地の所有名義が伊藤傳四郞となつているが、真の所有者は、萱本部落民四十五名であり、公租公課は勿論四十五名で負担納税し、部落民中の希望者に小作させ、小作料は共有者で取得し、原告も小作者の一人である。以上のような次第で、被告尾野本村農委は、この土地が、(イ)土地台帳によれば、傳四郞所有であり、同人が不在地主であつて小作地となり、(ロ)萱本部落民四十五名の共有である実情によれば自作農創設特別措置法第三条第五項第四号又は第三号のいずれかに該当するから、いずれにしても同法第三条によつて買收すべきものと認定し、事務処理の便宜上土地台帳により所有者を一應伊藤傳四郞と表示し、但し、同人失踪して萱本部落で管理中である旨の註釈を附記して、昭和二十年十一月二十三日現在傳四郞が不在村であるとの見地に基き、昭和二十二年三月十五日買收計画をたて、翌十六日これを公告し、同年三月三十一日福島県農地委員会の承認を経た上、被告福島県知事は、同年七月二十二日買收令書を交付して買收したのである。買收令書は、萱本部落代表泰康美あてにしたが、これは名義者が失踪しているので、真実の所有者に代金を受領させるための便宜方法であつて、傳四郞の土地を、萱本部落民代表泰康美から買收するという筋違いのものではない。原告は、昭和二十二年四月二十九日傳四郞の家督相続をした結果、明治四十五年以来右土地の所有者であると主張するが、前述の如く既に萱本部落民の共有であり、傳四郞の所有でないから、その主張自体理由がないのみならず、仮りに、同人の所有であつたとしても、相続のそ及効は法の擬制であつて、実在現象である事実までそ及せしめる効果はない。即ち、原告が明治四十五年以来所有していたという事実まで創造し得るものでないから、右土地は、昭和二十年十一月二十三日現在は不在村地主伊藤傳四郞の小作地となり、自作農創設特別措置法第三条に規定する買收の対象となる。しかも、市町村農地委員会は、相当と認めるときは、昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き買收することができるのである。従つて、如上の理由により被告尾野本村農委がたてた買收計画及び被告福島県知事が買收令書を交付してした買收は適法であつて、違法ではない。なお、買收令書の宛名が明らかでないとか違つている程度のことは、買收自体を違法たらしめるものではなく、しいていえば、後日の訂正によつて補正される範圍にすぎないものであるから、原告の本訴請求は失当であると陳述し、甲第一号証の一乃至五、第二号証の成立を認め、同第一号証の六、第三号証の成立は不知と答え、甲第一号証の六が真正に成立したものとすれば、これを援用すると述べた。

理由

被告尾野本村農委が昭和二十二年三月十六日本件土地に対する買收計画を公告したこと及び被告福島県知事が同年七月二十二日買收令書を交付して、右土地を買收したことは、当事者間に争いがない。

よつて、先ず、本件農地が何人の所有に属するかを審究するに、甲第一号証の二、四によれば、本件土地はもと伊藤善造の所有であつたこと及び同家は、明治の初めごろ絶家となつたことが認められるが同人の居住していた萱本部落には、往昔から絶家となつた者の所有地は、無跡地と称して、その当時の部落民の共有に帰属する慣習があつたとの被告主張事実は、これを認めしめるに足る証拠がないから、善造の絶家により、本件土地が、当時の萱本部落民四十五名の共有になつたものと認定することはできない。また甲第一号証の二中本件土地が、善造の申出によつて、明治初年ごろ部落の共有地となつたとの記載部分は、同号証の五と対照して、これを信用しない。そして、伊藤傳四郞が善造の右絶家を再興したことの当事者間に争のない事実、当事者弁論の全趣旨によつて認め得る明治十四年二月一日本件土地の地券が伊藤傳四郞に交付された事実に、甲第一号証の四、五及び同号証の二によつて真正に成立したものと認められる同号証の六を総合すると、本件土地は、伊藤傳四郞の所有と認められ、同人の養子山口留五郞がこれを耕作していたが、明治二十八年五月傳四郞が家出して行衞不明となるや、当時の萱本部落民は、山口留五郞は伊藤傳四郞の養子であつても、山口家の者で、伊藤家の相続人ではないから、傳四郞が再び帰村するか、またはその相続人が定まるまで、本件土地を部落で預ると留五郞に申し込み、同年旧十二月十九日留五郞をして、これを部落で管理しても異議ない旨の念証を差し入れさせ、爾来部落でこれを管理してきたことが認められる。無論甲第一号証の六には「私父傳四郞義無跡善造再興ニ表面上罷在候処」とか「名目地所」とか、はたして本件土地が真実傳四郞の所有であつたかどうかを疑わせるような記載があるが、地劵が傳四郞に交付された明治十四年二月一日から明治二十八年五月までの長年月間、多數の部落民中だれ一人としてその誤謬を指摘して地券の更正を請求したもののなかつた事実に想到すれば、他に特別な事情のあつたことを確認させる証拠のない本件では傳四郞も部落民もともにこれを傳四郞の所有地と認めていたものと認定せざるを得ない。従つて、それから五十数年間部落民がこれを管理し使用收益してきても、所有の意思でこれを占有してきたものとは認められないから、部落民のため、取得時效が完成するいわれはなく、依然として傳四郞の所有に属していたものといわなければならない。次に本件農地買收計画及び農地買收が自作農創設特別措置法第三条に違反する違法のものであるかどうかの点について審案するのに、甲第一号証の四に被告等弁論の全趣旨を総合すると、被告尾野本村農委は、本件農地の買收計画をたてるに当り、一応右農地を不在者傳四郞が所有していたものと認めて、昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き、自作農創設特別措置法第三条第一項第一号によつて買收計画をたてたものであることが認められる。しかるに傳四郞が昭和二十一年一月二十四日失踪宣告によつて明治四十五年七月三十一日死亡したものとみなされ、原告が昭和二十二年四月二十九日親族会の選定決議によつて、傳四郞の家督相続をしたことは、当事者間に争いがないから、原告は、明治四十五年七月三十一日にさかのぼつて、傳四郞の死亡による家督相続をし、同日から本件農地を所有していたことになる。被告等は、失踪宣告によるそ及相続開始は、法の擬制であり、実在現象である事実まで創造し得るものでないから、傳四郞が昭和二十年十一月二十三日現在不在村である事実には何等影響はないと主張するが、傳四郞は、昭和二十一年一月十四日失踪宣告によつて、明治四十五年七月三十一日死亡したものとみなされたのだから、被告尾野本村農委が本件買收計画を公告した昭和二十二年三月十六日当時、傳四郞は、昭和二十年十一月二十三日現在の事実によるも、死者で、本件土地を所有していなかつたのだから、同日現在本件土地を不在者傳四郞所有の小作地として樹立公告された本件買收計画は、明らかに自作農創設特別措置法第三条第一項第一号に違反する。又、被告等は、萱本部落民四十五名の共有である実情によれば、自作農創設特別措置法第三条第五項第四号又は第三号のいずれかに該当するから、同法第三条によつて買收すべきものと認定し、事務処理の便宜上土地台帳により所有者を一応伊藤傳四郞と表示し、但し同人失踪して萱本部落で管理中である旨の註釈を附記して買收計画をたてたのであると主張するが本件土地が、萱本部落民四十五名の共有と認め得ないことは、さきに認定した通りであるから、本件買收計画が、前記法条に準拠して樹立公告されたものとしても、それは違法たるをまぬかれない。

従つて、以上認定の如く、被告尾野本村農委のたてた本件買收計画は違法であり、これに基き、被告福島県知事が買收令書を交付してした本件農地買收も又違法であることが明らかであるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

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